ユーアイ村は、前理事長(現理事長の父)が、1991年(平成3年)に茨城県で初めての障害者生活ホーム(グループホーム)を作ったことから始まりました。当時、障害者は、コロニーという人里離れた大型の入所施設で隔離されて生活するのが主流だった時代に、「障害があっても親元から独立し、できだけ自立して、地域の中で当たり前に生活したい」というノーマライゼーションの思想に合致した画期的な試みでした。ユーアイ村の原点は、「障害がある」というだけで、私たち健常者と全く違う生活を送らざるを得ない、当時の貧しい日本の福祉制度を、根底から変えたいという思いにありました。「自分でできること、ひとつでも多く」という言葉も、こうした背景から生まれました。最初は、私たち家族と何人かのスタッフで始まったユーアイ村も、少しずつ大きくなってきました。大きくなった理由は、「そのときそのときの必要性に応じ、現場のニーズから発したものでした。ユーアイのすべての施設に、その施設がなぜ必要だったのかの理由があるのです。
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ユーアイホーム(障害者グループホーム)
28年前、ユーアイ村で一番初めにできた施設です。昔は、理事長家族もホームの敷地内に暮らしていて、24時間365日対応していました。晩酌大好きな入居者Mさんと一緒にビール飲みながら夕食を作っていたおおらかな時代でした。家族が少し大きくなったようなホームで、お金もなくて、何でも自分たちで作って楽しく暮らしていました。その後、入居希望者に対応するために、第2ホーム、第3ホームと作っていきました。現在は、通いのスタッフが対応をしていますが、当時はすべてのホームに職員が同居するスタイルでした。
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ユーアイキッチン(障害者の就労支援施設)
バブル経済がはじけて不況だったころ、障害者を雇用してくれる会社はほとんどありませんでした。そこで障害者の働く場所が必要だと、1997年(平成9年)に小規模作業所として設立しました。最初の施設長はイク子さん(理事長の母)で、お弁当と農業と陶芸という、ヘンテコな組み合わせの作業でスタートしました。二代目の施設長は現ユーアイの家施設長の藤澤康彦さん。相変わらずお金もなくて、毎日、狭い施設で朝から晩まで働いて、でも若かったから楽しかった日々でした。その後、2007年(平成19年)千波町の茨城県総合福祉会館に引っ越ししました。
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ユーアイファクトリー(障害者の生活介護施設)
ユーアイキッチンはお弁当の事業が拡大し、とても忙しくなりました。あまりに忙しくて、スタッフやボランティアさんが一心不乱に働き、重い障害のある利用者たちに「忙しいんだから、何もしないでそこに座ってて」という本末転倒な状態も出てきました。そこで、重い障害があって働く状態ではないけれど、自分の得意なことや強みを活かして、日中楽しく通えて自分の居場所だと感じられる施設を作ろうと思いました。それが1999年(平成11年)にできたファクトリーです。大きく分けると、ユーアイキッチンは「仕事する平日大変で行きたくないけど、休みの土日が楽しみな場所」で、ファクトリーは「通所する平日は楽しみで、土日はファクトリーが休みでつまらない場所」をめざしました。
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ユーアイの家(特別養護老人ホーム)
ユーアイホームの入居者が少しずつ年をとってきました。50代の入居者の親は80代になり、「親亡き後」を心配していました。そこで生涯にわたって安心して暮らせる場所を作りたいと2000年(平成12年)から、前理事長が特養建設の協議を県と始めました。ちょうど介護保険が導入された年で、まだユニット型特養はほとんどない時代でした。特養建設はとてもお金がかかります。大きな借金を抱えることになり借入申請の書類にハンコを押す手が震えました。2005年(平成17年)に特養が出来上がりましたが、小泉政権の「聖域なき改革」で補助金が竣工直前に大幅に削減され、追加の借入をしたり、大変な思いで作りました。それまで30人だった職員が一気に100人を超えました。この時代からユーアイを支え続けてくれた職員が今もたくさんいてくれることは、ユーアイの大きな宝です。
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ユーアイデザイン
震災直後に始めた「がんばっぺ!茨城」プロジェクトで一緒だったデザイナーに、ユーアイキッチンのお弁当の販促ツールを依頼したことがきっかけでした。当時のユーアイキッチンは業務が複雑で効率が悪く、利用者は仕事ができなくていつも怒られていました。その状況を見たデザイナーが「それって、仕事ができないんじゃなくて、やる仕事がわからないだけじゃない?」と発した言葉から、仕事がわかる、できる、ほめられる「タスカルカード」というツールが生まれました。その後も「認知症すごろく」などを作り、いつしか会社になってました。福祉×デザインで、福祉の仕事の魅力を伝える役割になりたいと思っています。
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ユーアイほいくえん
特養ユーアイの家も開設から10年たったころから、看取りの件数が多くなっていきました。年に15~6人の方が天国へと旅立ちます。どんなに日々のケアに力を入れても、リハビリだ、歩行だ、水分摂取だとがんばっても、当たり前ですが、お年寄りはだんだんに食べられなくなり、飲めなくなり、最期を迎えます。何度体験しても慣れることなく心が重くなります。そんな中、ユーアイほいくえんの子どもたちの姿をみていると、命の循環や再生を感じることができます。個人として命には終わりがあり、必ず人は亡くなっていく。でも、人類はこうして再生して、命は循環していく。大げさでなくそう思えます。地域の中にいろいろな年代の人がいることは、素晴らしいことです。相互の交流こそ、ユーアイ村の醍醐味なのです。
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まるごとカフェ[2019年(令和元年)9月1日オープン]
2015年(平成27年)に高齢者支援センターを始めたら、地域の中には高齢者のことだけではなく、障害や子育て、貧困など、多様なニーズがあることがわかり、縦割り福祉じゃダメだと思いました。そこで、障害福祉、子育て支援も、介護も、なんでも相談できて、何でも対応できる場所を作ろうと考えました。それが新しくできた「まるごとカフェ」です。千波町にあったユーアイキッチンを移転させて併設し、子どもたちが遊びまわる園庭を望んだカフェもあります。地域と福祉をつなぎ安心を生み出す場として、地域のみなさまと一緒につくり育てていきたいと思っています。包括的な支援ができる職員育成にも力を入れていきます。